秋桜のエッセイ

「家栽の人」

2006-03-12

「家栽の人」というコミックをご存知だろうか。家庭裁判所に勤め、植物をこよなく愛する桑田判事が主人公で、植物を育てるように丁寧に問題を抱えた人々と関わっていくストーリーである(そのため裁判ではなく、栽培の字をあてている)。テレビドラマにもなったのでそれを見たことがある方も多いだろう。

桑田判事はエリート裁判官の父を持ち、本人も将来を嘱望された優秀な裁判官だが、出世コースを断って地方の小さな家庭裁判所や簡易裁判所を回っている。周囲の人たちは最初そんな彼を不思議がったり見下したような態度を取るが、次第に彼の魅力に気付き、影響されて変わっていく。

私が特に感銘を受けているのは彼が常に関わる人に寄り添いながらも幅広くかつ冷静な視点で物事を見ていることである。その上で相手を人格を持った1人の人間として接し、時にはやさしくそして厳しく対応する姿に一流の療育を見学しているような気分になるのである。

私がこのコミックに出会ったのは大学生の時だがそれ以来10年以上ずっと愛読している。特に仕事や人間関係で悩んだ時には必ずと言っていいほど引っ張り出して読んでいる。桑田判事の人に対する態度はとても参考になり、「本当に大切にしなくてはいけないのは何か」「問題の本質は何なのか」「本人にどうやって問題に気付いてもらうのか」といったことを整理するのに役立っている。読んでいるとどこかに必ずヒントになるような出来事が書かれており、まるで私自身が桑田判事にスーパーバイズ(専門家による指導のアドバイスを受けること)を受けているような気持ちになり、勇気付けられたり反省するのである。

私が桑田判事に対して魅力を感じるもう一つの理由は自分を弱い人間と認め、飾らない自分でいることである。「それって弱虫なんじゃねえの?」と言う少年に対して彼は「そうですよ。君は誰より強くなりたいんですか?」という返事をしている。この会話から裁判官である前に1人の人間として生きようとしている姿勢を私は感じ、とても好きな場面である。私は日頃から常々人と接する時には「自分と同じように相手にも都合がある」ということを心がけているし、発達障害の子ども達を訓練する時にもこのことをかなり意識していた。

人間というのはどうしても人と関わっていると見方も偏りがちになるし、世間体とか自分の保身といった尺度で物事を考えがちになる。しかし発達障害というものに長年関わってみて感じるのは発達障害は常識の尺度では理解できない物であり、一度これらを取り払って考えなければ真実の姿が見えてこないものだ、ということである。それと同時に逆に当事者に必要なのは世間一般を知ることであり、自分がそれとどの位違っているかを正しく認識する能力なのである。

6歳で自分が自閉症であるということを意識して今年で28年目になるが、社会で生きていくのに必要なのは実はとてもシンプルなことなのかもしれない、と感じている。それは自分で考えて行動し、結果に責任を持つ態度と、時には他人に分かる形で協力や助けを求める行動力と、どんな状況でも生き抜くというたくましさなのでは、と考えている。

一番大切なのはこれらの能力を伸ばせるよう大人たちが環境を整えることなのかもしれない。しかしこれらは全て親ができることではないから、できたら周囲の人たちも協力することが大切だと思う。その意味でも大人たちも意識して身に付けるべき能力なのかもしれない。



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