秋桜のエッセイ

祖母の思い出

2006-05-14

最近時間ができたので着付けを習い始めた。以前から着物には興味があったし、母は自分で和服を着られる人で和箪笥一棹に和服をもっていたような人だったという環境も関係しているかもしれない。

母方の伯母も和服が好きで、私達姉妹が10代の頃から反物を用意したり、若い頃に着ていた着物を直して譲ってくれていた。今回着付けを習い始めたことを話したら母も伯母も「もうあまり着ることもないだろうから」ということで今まで保管していた着物を譲ってくれた。

その中に母方の祖母の形見というものがいくつかあり、今から見てもモダンな着物が何枚もあった。着付けの先生に見せてもそれなりの価値のあるものだそうで、今まで知らなかった祖母の一面を窺い知ることができた。私の中では祖母の形見を身に着けることでようやく祖母に対して心の中で区切りをつけられたような気がしている。

私自身がはっきり記憶している祖母はすでに年配になっており、それまでの母達との確執も知っていただけに私の中では「どうしようもない婆さん」というイメージしかなかった。強烈なキャラクターの持ち主だったし、祖母が原因の金銭トラブルなどもあったため、子ども達(私からの関係では母、伯父、伯母)も関るだけ傷つけられるからできる限り関らないようにしていた。我が家も色々な成り行きで祖母を引き取ったが、結局は彼女とうまく行かず、施設入所してそのまま老人関係の病院に入院、ということになってしまった。

今振り返ると祖母もアスペルガーの要素が強い人だった。感覚もやや過敏で特に痛覚に対して敏感だったため、骨粗しょう症による腰椎の圧迫骨折後はリハビリが必要だと言われても絶対自分からは動こうとしなかった。自分の思い通りにするために人を道具のように利用する面もあり、たとえ孫が相手でも妥協することはほとんどなかった。家事も嫌いだったため、母達は幼い頃から家事をせざるを得ない状況だったらしい。ごみを溜め込む人だったので母が主な介護者になってからは定期的に両親が片づけをしないといけない状態だった。

コミュニケーションも取りづらいために他愛無いおしゃべりもできず、祖母と関るといい気持ちがしなかった。もう少し早く着物に興味を持っていればまた違ったのかな、と思う。しかし祖母の性格を考えるとどんなに共通の話題があっても歩み寄りは難しかったかもしれない。

祖母の性格の背景には生まれ育った環境も影響していると思われる。大工の棟梁の長女として生まれ、幼い頃は祖父母に溺愛されて育ち、女学校を卒業後さらに師範学校で勉強して卒業後は教師として働いていた。実家にはたくさんの従業員が住み込みで働き、結婚するまで面倒なことや自分がやりたくないことは全部他人任せで生活できた環境だったらしい。当時は女に学問はいらない、女が外で働くなどもってのほか、という風潮が大勢だったことを考えると恵まれた環境だったと言える。

そんな祖母に転機が訪れたのは祖父との結婚だった。祖父は祖母とは対照的に貧しい農家の出身で小学校を出た後独学で検定試験を受けて教員免許を取得した人だった。そんな二人の生活は祖母が家事をあまりしないということで祖父が腹を立てて祖母に当たることもあったようだ。祖母は祖母で貧乏な暮らしや祖父の学歴のなさ、そして僻地校への転任などに不満があったようで、祖母だけ実家へ戻って暮らしたり他の男性に走りそうになったりといったことがあったらしい。祖父もアスペルガーが疑われるような人で学問と仕事以外興味がほとんどなかったから今までちやほやされて育った祖母としては寂しかったのかもしれない。

裕福だった実家が父親(私にとっては曽祖父)が若くして亡くなったことを契機に戦後の混乱なども重なって落ちぶれてしまったことも祖母にとってはショックなことだった。今まで当たり前のように受けていた色々な援助がなくなり、プライドも傷つけられたことで自分を守ってくれるのはお金しかない、ということで金銭への執着が強くなったようだ。

結局祖母は最後の数年は認知症が進行し、母以外の人はほとんど誰だかわからなくなってしまった。その頃はもう思い出の中だけで生きていたようで、ある意味幸せだったかもしれない。そして数年前の寒い日、母に看取られてこの世を去った。母の知らせを受けて親族が駆けつけたが、間に合ったのは比較的近くに住んでいた私たち夫婦だけだったそうだ。献体を希望していたので翌日納棺だけ行い、法要などは身内だけで後日執り行われた。

以前母と祖母のことを話した折に「母性ということばはあの人にはなかったわよね」「結婚に向いていない人だったのよね」「あのままお嬢様として育っていられたらよかったのだろうけど…」という感想を母が漏らしていた。母自身祖母に対しては複雑な感情を持っていて、今回着物を整理する際にも私が祖母と着物の好みが似ていることに対してケチをつけられた。母が精神分析を勉強したきっかけが祖母との確執だったという事情を理解しているので仕方ないという面もあるが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという諺がぴったりだった。

私自身親戚(特に母)から「お祖母ちゃんに似ているね」と言われると正直あまりいい気持ちがしない。「あんな人と一緒にしないで!」という反発心が先に出てしまう。同じ血が流れていると考えるだけでうんざりしたこともあったし、「私も祖母と同じ過ちをしてしまうのではないか」という恐怖心もあった。この底なし沼へ落ちていきそうな恐怖はもしかしたら同じような経験をした人にしか分からない感覚かもしれない。

母もきっと同じような気持ちになったからこそ教師を辞して上京し、精神分析を勉強したのだと思う。問題を根本的に解決するのは難しいが、その原因を知っているだけでもだいぶ楽になったと語ってくれた。また私が生まれたことで発達障害について勉強するうちに「自分の親もアスペルガーだったのだろう」ということが分かり、祖父母に対する気持ちの整理がついたらしい。

血のつながりというのは絶ちがたいものであり、何かあるとトラブルも深刻になりがちである。特に発達障害というのはコミュニケーションに支障をきたすケースが多いので問題がこじれてしまうこともあると思う。私も正直親の介護などを考えると今後も色々あるだろうと気が重いが、できることをやっていくしかないのだから今までの知識などを生かして何とか乗り切っていけたら、と考えている。

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