秋桜のエッセイ

支援を受ける側から支援する側へ(その4)(アスペ・ハート16号掲載分)

2007-11-18

(私が受けた療育)
私の場合は3歳過ぎても一言も発語がなかったため、様子を見ていた母が専門家へ相談を始めました。それまでも母は精神分析を勉強していたことに加えて教員をしたり小児科病棟で看護助手として働いていた経験から「この子は他の子と違う」という確信を持っていたそうです。「私があなたを育てられたのは心理学なども勉強した知識と、小学校の教師をしたり小児科病棟で働いていた経験があるからかもね。何が普通かって感覚で分かっていたんだと思う」と母自身も私に話してくれました。

当時は母なりに工夫をして私に関ってきたが、よりきめ細かい支援を希望してあちこち奔走したそうです。公的な施設は色々な事情で対応してもらえなかったため、知り合いの心理士のつてで大学を出たばかりの若い心理士を家庭教師として雇いました。家庭教師にしたのは個別指導を希望したことやより実情を理解してもらいたいということに加え、1つ上に姉がいて私だけを連れて外出することが難しいという理由もあったようです。

その方は週に一度自宅へ来て私とプレイセラピーをしていたそうです(そうです、というのは残念ながら私にはその記憶が全くと言っていいほどないからです)。また、母にも対応について話し合い、本などの資料を提供していたそうです。成人後両親に聞いたところ当時のお金で月に数万円という大金を私の療育のためにつぎ込んでいました。家庭教師の方はとても熱心に勉強をしていたそうで、自閉症は脳の機能障害である、という当時としては最新の資料も母に提供していました。

当時は自閉症は親の愛情不足が原因というのが専門家の間でも定説でした。それだけに母は謂れのない誹謗中傷を浴びてきたそうです(これはその後も続くことになりますが…)。だから当時その先生が持ってきてくれた文献はとても嬉しかった、と私に話してくれたことがあります。また、子育てで悩んでいた時にその先生が相談に乗ってくれたことも母にとっては支えになったようです。

今でもそのような決断をするのは勇気のいることだと思いますが、母に聞いたら「より質のいい療育を、と思って当時は必死だった。でも『今やらなければダメだ』という確信があったからできたのかも」という返事でした。

その先生のセラピーは私がしゃべりだした頃に私自身が「先生はもう(来なくて)いい」と言ったそうで(私自身は全然覚えていないのですが)、1年ほどで終了になりました。しかしその後も定期的に手紙などを交換したり(今でも母は連絡を取り合っているそうです)、数ヶ月に1度様子を見せに先生が勤務しているクリニックへ母に連れられて出かけていました(最後の数回はおぼろげながらも覚えています)。

その後の母は「生活の中でこそ療育の視点で工夫できることがたくさんある」と考え、日常生活の中で療育的な関わりを心がげていました。そして常に最新の情報を集める努力をしていました。今のようにインターネットといった便利な物がない時代でしたから、当時は新聞や知人からの口コミ情報、そして自分の足で書店に行って本を探すということで何とか対応していました。そして疑問に思ったことや感想を手紙に書いて出版社に送ったりもしていました。

療育と並行して母は自分なりに私のことを観察し、「この子は文字から日本語を覚えそうだ」と気付いてからは私と絵本を読んでいる時にはできるだけ文字と音を結びつけるように関っていたそうです。また幼稚園についてもかなり下調べをし、姉が入園してからは送り迎えや行事の際に私も一緒に連れて行って園の様子を見せたり、事前に園長先生たちに私の相談などをしていたようです。幸い統合保育をしている所だったので入園できたようです。

今思えば当時住んでいた団地という環境もよかったのかもしれません。近所には同じ世代の子ども達も大勢いて何かあるとお互いの家を行き来して遊んでいました。だからおたふく風邪が流行した時も感染した子ども同士で集まって遊んでいたのを何となくですが覚えています。親達もそばに付き添ってはいましたが普段は口出しせず、何か問題が起きた時にはすぐに対応してくれていました。

現在の住宅街ではこのようなさりげなく見守る大人の目、というのは残念ながら私が子どもの頃よりも少なくなってしまいました。しかし子どもが育つためには親以外の大人の存在というのはとても大事なものだと私は自分の経験から感じています。

最近よく「お母さんがしてくれた療育ってどんなものですか?」という質問を受けるのですが、名前もないので本当に答えづらいのです。それでもはっきり言えるのは「生活のすべてが療育だった」ということです。そして支援者になって感じるのは「この考えこそが本当の意味で療育の基本だ」ということです。

療育と言われるとどうしてもセンターなど施設で行われるものと思われがちですし、「~法」という名前が付いているものばかりが注目されがちです。しかしそれが日常生活でどう生かされるか、という視点がなければそこで終ってしまうのでは、と私は常日頃考えています。

確かに最初のうちは日常生活のような刺激が多い環境では発達障害、特に自閉症スペクトラムのケースは学習が困難です。だから刺激のない環境での訓練が必要なのです。でも本当の目的は日常生活の中でもそれができるようになることです。ですから前にも書きましたが支援者もサービスを受ける側も名前にばかりに囚われずに支援の対象となる人が本当に必要なサービスとは何か、ということを考えてほしいのです。

そういう意味では親御さんたちはある程度子どもの状況が分かったら自分で考え、子どもの支援について専門家と相談しながら試行錯誤してみることも大切だと私は思っています。相談業務をしていてもその辺りのバランスがいい親御さんはお子さんとの関わり方がどんどん変化し、いい方向に物事が運んで行く印象があります。

だから私は機会があるごとに訓練に来たご家族には「月に1,2回訓練に来たからって状況が変わるわけではないです。大事なのはこの子が私とどういう関わり方をしているのか、どういうものの捉え方をしているかを見てほしいということです。そしてそれを日常でどう生かして行ったらいいのか考えて下さいね」と話していました。

最近は支援職としてやれることは支援の対象となるご家族がよりよいコミュニケーションが取れる状況を引き出せるか、つまり家族が主体になれるよう私はあくまでも立会人としてのポジションで関われるかどうかがかなり重要なことなのだな、と考えています。

(5歳から6歳前後の子どもの発達)
5歳前後になると簡単なしりとりやトランプゲームができるようになります。子どもなりに物事を論理立てて考え、ことばで抽象的なことを考える最初の段階に入ってきます。話をしていても自分が知っていることを理由を挙げながら「だって~だからこうなんだよ」といった説明をすることができるようになります。

この発達の陰には身体の発育や経験値の増加とともに内言(ことばに出さないで物事を考えること)やワーキングメモリー(一時的な記憶能力)の能力が関わっています。そしてこれらの経験や能力を組み合わせることで順番を追って考える、相手の立場で物事を考えてみるといった能力が育って行きます。

言語聴覚士という仕事上、私が一番子どもたちに関わるのは言語関係です。言語に関わるもので3歳から就学前後にかけて理解が進む能力に文字と数の理解があります。数と文字は連動して発達し、就学後の学習においてはその理解が前提になっています。中には就学まで文字や数字を教わっていないお子さんもいますが、それでも就学後文字を教われば1学期中に理解できるケースが大半なので文字や数字を理解できるだけの能力が就学までには備わっているということが言えます。

発達過程においても文字や数字は概念の理解のベースになるため、そこに躓きがあると本人も周囲も「なぜわからない」と悩むことになります。もちろん文字や数字がなくても概念の理解は可能ですが、今の日本では文字や数字が分からないと得られる情報量が圧倒的に少なくなってしまいます。仕事をする際に考えてみても重要な連絡事項は文字で伝達されるケースがとても多いものです。またお金や時間の管理に数字は欠かせないものですから働く上ではある程度分かっておいた方がいい概念だと言えます。

ここで大事なのは本人の状態に合わせた支援を行うことなのですが、分かる人間というのは分からない状態というのは想像を超えた状態です。まず本人の状況を正しく評価できる人に状況を分析してもらうことも必要だと私は支援していて実感しています。

(文字の役割について)
アスペルガーや高機能自閉症のお子さんの場合、文字を覚えるのが早いケースが比較的多く見られます。中には2歳前後からひらがなを覚えたというケースもあります。私自身も話をする前に日本語を文字から覚えていたそうです。親御さんの中には「うちの子は文字が読めるし、難しいことばも知っているから」ということで発達障害に気付くのが遅れてしまうこともあります。確かに通常のケースで考えれば文字を覚えるのは5,6歳前後ですから「ものすごい才能がある」と思われても仕方ないのかもしれません。しかしこれは別な観点から見れば文字という視覚情報に頼らなければ音声が主である言語を習得しづらいという可能性もある、ということなのです。

世界の言語の中には文字がないという言語も少なからずありますし、人間の歴史を考えてみれば文字がある時代というのは意外と短いものです。そこから考えてみると文字がなければ言語習得が難しいというのは不自然な面があることが伺えます。今の日本は文字がある、文字が分かるのが当たり前すぎて見えなくなっていますが、文字という記号の役割を一度考えてみると文字を通してことばを身に付けるとはどういうことかが別の形で見えてくると思います。

私の場合も文字という媒体を通して日本語の音声を習得したのでは、と母と話しています。実際疲れてくると人の声と物音との区別が付きづらくなり、人の話を聞くのが辛くなってきます。またこのような時は人の声は分かるのですが、音声からだけだとことばの意味を抽出しづらくなり、頭の中でいったん文字に変換してから意味を考えるといった作業が必要になります。

ではなぜ文字は覚えやすいのか、というと文字の形は筆跡などの違いはあっても形が同じです。だから一度形を覚えれば変更はありません。またかな文字の場合は特殊音節などを除けば文字と音は「あ」という文字に対して[a]という音節を当てはめれば読むことができます(他の言語の場合、また事情が違いますが)。前回も書きましたが自閉症児者は1つのものに対して1つのものを当てはめるマッチングの作業は得意です。ですからマッチングの要領で文字と音を当てはめていけば文字を読むことが可能なのです。だから視知覚認知が比較的いい自閉症のケースの場合、自分の経験から私は文字を教えるようにしていました。

ただし子どもによっては1文字と1音は対応できても、それが単語になると同じ文字だと気付かないケースもあります。順番のパターンで覚えているケースだと1番目、3番目の文字は?といったランダムで聞くととたんに答えられなくなります。そのため文字を覚えても安心せず、その理解を確実にしていくことが大切になってきます。

また音のイメージ自体がつかみづらいと文字を弁別できる能力があっても音そのものの違いをうまくつかめないこともあります。視知覚認知が不得意なケースだと文字の形の区別が難しいこともありますから、色々配慮する必要があります。

ここで注意して欲しいのはあくまでも文字は手段であって最終目標は音声言語だということです。音声言語をより聞き取りやすくするにはどうしたらいいか、そして会話をスムーズに進めるにはどのような援助が必要なのかをより大きな視点で考えて欲しいと思います。

(数の理解について)
文字と並んで3歳前後から発達してくるのが数の理解です。ところが意外と親御さんが正しく状態を把握していないのも数の概念だと臨床で指導していて感じます。「数は分かっています」というコメントをもらった時、私はどこまで分かっているのか細かく確認をします。

数というのは
・ただ唱えている段階
・数字と数の名称が一致している段階(数字の1と/イチ/が結びついているが、何個かは分からない)
・数と量が結びついている段階
・数の順番が分かっている段階
・数の増減関係が分かっている段階(2から3になるのは一つ増えた、3から2になるのは 一つ減ったということが分かるかどうか)
・数の合成、分解ができる段階
・5のユニット、10のユニットに合成、分解して考えられる段階(繰り上がり、繰り下がり 計算の基礎になる)
・掛け算、割り算の理解

という段階を経て身について行くと私は考えています。

数というのは数量と同時に順序や割合の尺度でもあり、同じ数字でも表している現象が異なるケースがあります。私たちはふだんそれを意識せずに用いていますが、意味の違いというものを支援者が理解した上で指導しないと子どもたちが混乱することがあります。

教える側もそもそも数はどのような目的で作られたものなのか、なぜ一般的な社会では10進法なのか、位どりがどうなっているのか、といった私たちが当たり前だと思いすぎて意識していないことが発達障害の当事者には難しいということです。その根本には今まで述べてきた比較や距離感などの身体感覚が関わっており、その辺りの感覚が数を学ぶまでにどの位身についているかが意外に大切になってきます。

次回に身体と学習などについてもう少し詳しく書いていきたいと思っています。


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