アスペ・ハートより

更新: 1999.1.26

以下の文章は、アスペの会のニュースレター「アスペ・ハート」に私が書かせてもらったものです。


(1997年7月)

私が「アスペ」のことを知ったわけ

半年前はまだ「アスペ」のことを知らなかった。

自分が「変わっている」ことくらい知ってたし、個性的だと思っていた。でもそれがいきづまってきて、「個性」と思ってたのはただただ人より劣っているだけではないかという疑念の方がますます大きくなっていた。

私がいたのは「変な人」にはわりと寛大な会社だったけど、それでも居づらくなっていた。職場の女性たちに対して「かわいい男の子」のイメージでふるまおうとしても、そりゃ無理がある。30という年齢だ。だんだん相手にもされなくなる。何か変な失敗をしてからかわれ笑われたときだけ自分も笑うことができてほっとできる。みじめだった。コンピュータプログラマーの仕事をしていたが、チームを組んでするような仕事はほとんど無理で、自信を無くしていた。

そんなときに、「アスペルガー症候群」のことを知った。インターネットネットで障害者関係のホームページを見て回るうちに「アスペの会」のホームページに出会った。そこにあった「診断基準」を読んで愕然とした。とても自分にぴったりに思えたのだ。

それまでは、私がおとなになってからも人と協調できずコミュニケーションがうまくいかないのは、子どものときからいじめられっ子でまともな友達関係などほとんどもてたことがなかったせいなのだろうと思っていた。それが、「学校教育では仲間との関係をうまく作り出せないために、クラスや同年代の仲間から浮き上がってしまい、『いじめ』の対象となりやすい」などということが、この先天的な障害の特徴だというのだ。なんとまあ、社会性の無さは生まれつきだったのだ。

「自閉症」というものが、何か自分と関係ありそうだという自覚は、それまでもおぼろげなものとしてあった。けれど何年も前に映画『レインマン』を見たときは、そのステレオタイプは自分とはとてもかけ離れていると思った。驚異的な記憶力とか私には無いし、同じスーパーの下着でなければだめというような極端で不合理なこだわりも無い(こだわりは多いけど、それなりに合理的だと思ってたりする)。仕事能力も生活能力も一応はあるつもりでいる。

ドナ・ウィリアムズの自伝『自閉症だった私へ』と出会ったのは1年前のことだった。たまたま書店でそのタイトルが目について、ひょっとしたら私のことではないかと恐る恐る手にとり、覚悟して読んだ。ドナの物語は美しい文学作品のようで、感動的だった。そしてドナと私との間にいろいろな共通点を見つけることができたのだけれども、同時にいくつかの点で私はドナのようではないということも確認したのだった。肉体的な感覚というのがとても違うと思った。接触への極端な拒絶反応というのは自覚できないし、自傷行為というのも無い。パニックでめちゃくちゃなことをしてしまうかというと、それほどでもない(と自分では思う)。

そんなドナとの比較から、自閉症という障害者の範疇に私を含めるのは間違っているのだろうと考え、それから半年間はそのことを追求したりはしないでいた。

それが「アスペ」のことを知って、ひっくり返ってしまったのだ。それから自閉症とアスペルガー症候群について書かれた本をいくらか読むと、そこに記述されているアスペの子どもや青年たちの症例と、自分が経験してきたいろいろなドジなことがやっぱり一致しているのだ。例えば、小学校に入ったとき、授業で席に落ち着くことができず、ひとりで教室を飛び出して校庭を走り回っていたことがある。しゃべり方も歩き方もみんなおかしいといわれていた。なるほど、アスペに共通の特徴だったのかと納得。子供時代からの自分の謎が一気に解けたと思った。

「ベジタリアン」の私

私には「こだわり」がいくつかあるけど、その中で一番古くからのものは、ベジタリアンだってこと、つまり肉を食べないってこと。

単なる偏食? それとも何か思想的なもの?

6才のときにさかのぼる。ある日突然、生き物を殺すことがとても悪いことと思うようになって、小さな虫も殺せなくなってしまった。そして肉も魚も食べないって決めてしまったのでした。

そんなふうになったのはきっと「動物を殺しちゃいけないよ」とおとなが言ったのをとても本気にうけとめてしまったからでしょう。とにかくそのときから私の頭の中にひとつの規則が作られたのでした。

変化は急激でした。それまでは、肉が好きだったのです。ところが食べないと決めてしまうと見るのも匂いをかぐのもいやになりました。無理に食べさせられようとすると、吐き気がしてしまいます。

親はなんとか理解してくれたから家での食事はなんとかなったのだけれど、問題は学校です。小学校の給食の時間は悲惨でした。好き嫌いはだめだと怒られ無理矢理食べさせられ、べそをかきながら吐き気と格闘して飲み込んだり、吐いてしまったり。残すことなど許されなかったから、こっそりビニール袋に入れて机の中に隠して下校途中で捨てたりして、とても罪悪感を持ちました。

食べてしまう以上に捨てるのはいけないとも思ってたのです。だって、そのほうが生き物の命が無駄になってしまうから。でも肉の塊を口に入れることは拷問の苦しみ。動物がかわいそうといって肉を食べないで捨ててしまう自分はなんて偽善者なんだろう、というコンプレックスを子供心に持ちました。

まあしかし、だんだんと私の「菜食主義」は穏健なものになって、魚は平気で食べられるようになり、肉でも料理に少し入っているくらいなら気にしないで食べたりするようになって今にいたってます。

もちろんこんな私の「菜食主義」など人に勧めるものではありしませんし、お肉やさんや食肉業者の人々と争うつもりは毛頭ありません。私のはやっぱり変な「こだわり」と偏食にすぎませんので。


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