佐々木正美先生の講演会にいきました / マルハナバチ (98/09/19)

9月16日、朝6時半の電車にのって、私はP県のQ市に向かいました。佐々木先生 のお話を聞くためです。佐々木先生というのは、なんでもノースカロライナ帰りなの だそうで、ノースカロライナ帰り! と聞いただけで、わたしは行く行く行く! と 決めてしまったのです。

電車を5本乗り継いで、駅からはタクシーに乗って、緊張しながらも、なんとか遅れ ずに会場につきました。会場に着いたときには、なにも始まっていないのに、もう疲 れていました。さて、受付に行ってみると、集まってきた参加者たちには、どうも受 け付けに詰めているスタッフと知り合いが多いようです。親しげに挨拶を交わしてる 人が多いので、なんだかマルハナバチは借りてきたハチのような気分になってしまい ました。

マーチさんを通して、あらかじめ出席すると伝えてあったので、名簿に名前があるは ずだといって受け付けの人がさがしてくれたのですが、結局見つからなくて、あらた めて名前を書いてもらいました。

やっと受け付けをクリアして会場に入ると、え。なに? このカビのにおいは?!  じゅうたんがカビてるらしいにおいがするんです。ど、どうしよう。落ち着いて話が 聞けるだろうか? 不安になるマルハナバチ。そこに、この集まりのことを教えてく れたマーチさんが、わたしの姿を見つけて、挨拶しに来てくれました。ろくにあいさ つもせずに、いきなり「ねえじゅうたんかびくさくない?」と言い出すマルハナバチ (マーチさんごめんなさい)。「え? 別に気にならないけど?」そうか。これはわ たしにしかわからないレベルのにおいなんだな。わたしの感覚はいろいろと人とちが っているところがあるので、他の人も同じように感じているかどうかは、いちいちき かないとわからないのです。

最前列のまん中が大好きなマルハナバチは、当然今回も、そこに座ります。早起きし て眠いのと、移動の緊張と、受けつけでの緊張と、カビのにおいと、人の多いのとで、 そろそろ何か刺激レベルも臨界に近いなあ。危ないなあ。これは、見栄を張っている 場合じゃあないや。わたしは、少々かっこ悪くてもいいやと腹を括り、靴を脱いでイ スの上で膝をかかえて座りました。少しくらい身体揺すったって、いいよね。佐々木 先生は自閉の専門家だろうし、会場にも、自閉児のお母さんはいっぱいいるだろうし。 と思ったのですが、イスがきしきしいうんですよね。だめだーこりゃ。全身揺すりど ころか、身じろぎもできないイスだー。困ったな。この緊張レベルをどうやって下げ よう・・・(続く)

佐々木正美先生の講演会 その2 / マルハナバチ (98/09/19)

どうにかイスをきしませないでできる貧乏ゆすりのバリエーションはないものかと、 イスの上で実験をくり返すマルハナバチ。マーチさんが来て、「やっぱり、この場所 は...」という。それもそうだよね、と納得して、同じ前列の左端の席に移動して、 やっぱりキシキシいうイスの上で、貧乏ゆすりできないまま、マーチさんとお話をし ました。

先生が来られて、お話が始まりました。今日は、全部がQ&Aということになってい るのだそうで、前半は、あらかじめ主催者が集めておいた質問用紙の質問に、後半で は会場からの質問に先生がお答えくださるという予定になっていました。

最初の質問は、「子ども本人が、自分はみんなと違うということに気がつき始めたと き、親はどうしたらよいか」というものでした。先生は、「LDとか、高機能自閉と かの子どもたちが、そういうことで悩むんですよ」と前置きされてから、「親が、子 どもが少しでもみんなと同じであってほしい」と強く思えば思うほど、子どもにはそ れが伝わって、子どもはとても苦しみます」というお話をしてくださいました。

その中で、いちばんショックだったのが、先生が「親御さんもつらいでしょうが、子 どもさん本人は、もっとつらいんです。当事者ですから」とおっしゃったことです。

うそだろー。まじかよ。頭ががんがんしてきました。

これまでわたしは、子ども本人というのは、当事者だからこそ気が楽なんだと思って きました。当事者だから、自分で、何がどれくらいできないのか、実感ができるから です。実感の裏づけがあるから、不安が暴走しない。それにくらべて親御さんたちは、 実感の裏づけがないまま不安が暴走するから、親御さんの方がずっと大変なんだ、と 思ってきたのです。自分は、子どもに責任を負わなければいけない親たちとはちがう。 本人だから気楽で、申しわけない...このフォーラムでもそうですけど、ずっとそう いう引け目とか申しわけなさを感じてみなさんとつきあってきました。それなのに先 生は、それをあっさりとひっくり返すようなことをおっしゃるのです。(続く)

佐々木正美先生の講演会 その3 / マルハナバチ (98/09/19)

さて、先生のお話にちょっとしたカルチャーショックを受けて動揺し始めたマルハナ バチに、新たな危険が迫ります。前列の端っこに座っていたので、天井のスピーカー の近くだったんですね。なにか、じーーーーーーーという音がする。PA系統のハム 音なのか、蛍光燈の音をマイクが拾っているのか知りませんが、 じーーーーーーーーーという音がする。最初から多少気になってはいたのですが、疲 れているのと、お話の内容に動揺したのと、身体を揺するわけにいかず、じっと固ま っていたのとで、この手の刺激の許容量は下がっていて、あーもうだめだ、という感 じになってきました。わたしは荷物をまとめて靴をはき、そろりそろりと立ち上がり、 少しでも音の小さいところはどこだろう、と探りながら、ゆっくりと会場中を歩き始 めたのです。

まあ、ここがいちばんマシかな、と思ったのは、後ろの壁ぎわでした。それでもまだ 音は聞こえるし、別の蛍光燈の音もするので、これを何とか追い出そうと、わたしは 激しく身体を揺すりはじめました。

当然ながら、揺すっていると、先生のお話はよく聞こえるんですよね。「友だちがい ないということを気にしていると、友だちはなかなかできない。友だちを作らないと いけないんだと思いこんでいると、変なアプローチをするから。友だちはいなくても いい、と思うと、かえってできるものです」というお話が続いています。

確かに。その通りですよ。わたしの経験からいっても、その通りです。友だちがいな いのは、悪い子だ、いやな子だからだ、と決めつけて、いやな子じゃないことを証明 するためには、友だちの数を揃えることが必要だと思っていたころは、他人というの は、自分を証明する道具でしかなかったわけですから。そんな失礼な態度で近づいて、 仲良くなれるはずがありませんよね。わたしは、別に友だちなんてほしくなかったん だ、実はわたしは一人遊びが好きだったんだ、ということに初めて気がついたのが2、 3年前です。そして、人間関係を断ち切って好きなだけ閉じこもってみて、なんのこ とはない、ちゃんと生きられることがわかりました。それからのことです、最近にな って、気がついてみたら、友だちができていました。近所に住んでないといけないと か、同性でないといけないとか、健常者でないといけないとか、そんな条件なんか忘 れてしまったら、できるときにはできちゃったんですよ。

だから、先生のこのお話は、とってもよくわかりました。(つづく)

佐々木正美先生の講演会 その4 / マルハナバチ (98/09/20)

なんか、佐々木先生って、子どもにやさしいよなあ・・・これだけの人数の親を相手に しゃべっているというのに、どうしてこんな大胆不敵なことができちゃうんだろう・・ ・

先生のお話もちゃんとリアルタイムで追いながらだけど、頭の中には、こんな考えが ずっと渦巻いていました。

「親御さんも大変だろうけれど、ご本人はもっと苦しいんです。当事者なんだから」 前半のほうで聞いた、先生のこのことばが、かなりの影響を残しているようでした。 一応、頭と耳は、リアルタイムの講演を追っているんですが、頬骨から下くらいは、 ずっとこのことばを反芻していたのかもしれません。

後半、会場からの質問の時間に移りました。

あるお母さんが、よその言語療法士(だったかな?忘れちゃった)に「TEACCH みたいな方法はアメリカだからできるのであって、日本では非現実的だ」と言われた のですが、という相談をされました。

それに対し先生は、アメリカだろうがヨーロッパだろうが日本だろうが、優秀な人材 があって知識があってやる気があったらできるものはできる。TEACCHとよぼう とよぶまいと、現実にいる子どもに通じる方法でコミュニケーションして、その子ど もにとって無理のない方法で表現させれば、コミュニケーションしようという意欲を 萎えさせないですむ。子どもたちに、自分に合わない表現方法を強いると、コミュニ ケーションするという概念自体が育たない、という説明をされました。(テープも ノートもなしに、記憶に頼って書いてます。まちがってたらマーチさん直してね)

わー先生。そんなこと言ってしまっていいの? 私たちが、外国語を操るように、な んとか調子を合わせてコミュニケーションを操作しているんだってことは、秘密のは ずじゃなかったの? そんな、親御さんたちを傷つけること、言っちゃって良かった の? 先生、あなたってひとは、相当な過激派だね... 佐々木先生、そこまで子ど もたちの味方なの??? 子どもたちを診察室に連れてくるのは、親なのに。

マルハナバチの目から、(大嫌いな)涙が出てきました。     (つづく)

佐々木正美先生の講演会 その5 / マルハナバチ (98/09/20)

あっそうだ、ここで、マルハナバチがなぜ泣くのが嫌いなのか、説明しておきましょ う。 わたしは、皮膚が部分的に濡れるという感触が嫌いなんです。汗とか涙とかがつーー としたたる、っていうのはダメです。オレンジやプラムもむけないし、梨を切ること もできません。ビールのグラスが汗をかいてきたら、ペーパータオルでつかみます。 困るのは枝豆とゆでた殻つきエビ。どちらも好物なので、ジレンマです。

そんなわけで、あんまり泣かない訓練を積んでいるはずのわたしですが、その防壁も かなりあやしくなってきました。

先生のお話は続いています。ヨーロッパで、コミュニケーションに障害のある子ども たちの、自宅を訪問して、自宅のデザイン、使い方、アレンジの指導をするというこ とが盛んに行なわれているという話です。

「耳の聞こえないお子さんがいたら、その子が暮らしやすいように、道具や家の造り を工夫しますね。車椅子のお子さんがいたら、専門家に家を見てもらって、段差をな くすとか、いろいろアドバイスを受けますね。それと同じなんです」

「目の見えない生徒さんに、だれも、黒板を見てノートに写せなんてことは、言いま せんよね。でも、みんな、自閉のお子さんには、知らずにそれと同じことをつい要求 してしまうんです。外から見えない障害だからです。自閉のお子さんは一見、外から は正常に見えるために、無理な要求をされてしまうんですよ」 そうかーー、先生。わたしが何かしんどい、なんでこんなに疲れるんだ、と思ってた のは、変じゃなかったんですね? 何でこれだけのことで疲れるんだ、何で何もして ないのにだるいんだ、って思ってたけど、それにはやっぱり根拠があるっていうの ね? アメリカではそれは通用するけど日本に帰ってきたらやっぱりもう一度無理を しなきゃ、って思っていたけど、先生は、ここ日本でそんな話を、公然としちゃう気 なのね? これだけ親御さんが集まってる前で?

じゃあ、わたしは、日本でも、しんどいって思っていいって言うの? 日本でも、こ の疲れを感じてていい、っていうの? それ本当? マジ? 先生責任とれる? そ んなこと言うなら、わたしだって、「しんどいよー」って言ってしまうよ。いいの本 当に...

どこかで、なにかが、外れるような音が聞こえました。

佐々木正美先生の講演会 その6 / マルハナバチ (98/09/20)

質疑応答の時間、会場からの質問が、一瞬、とぎれました。きっと誰かが、ちょっぴ り遠慮深かったか、ちょっぴり恥ずかしくて勇気が要ったか、なんだか知りませんが、 とにかく一瞬とぎれたんです。悪魔の誘惑みたいな一瞬でした。わたしはここに来る とき、「質問はしないぞ」って決めてたし、マーチさんにもメールでそう言ってあっ たのに。

もういいや、知るもんか。手が上がってしまいました。

先生が気づいて、はい、どうぞ、とおっしゃいました。主催者の誰かが、マイクを持 ってこられました。わたしは、さっきから落書きのようにノートに書きつけていた疑 問を、読み上げはじめました。

「わたしは長いこと、どうにか普通らしく生きていけると思ってきました。へただけ ど何とかやってきました。それがシンドイってことにもきがついてなかったし、こん なものだと思いこんでいたんです」

「でも最近、もっと楽にやるんだ、という方針で生きている人たちに出会ってしまい ました。彼らは、たとえば、申しわけないけど握手はしません、と説明して、それで 通してしまおうとしている。あるいは、人の顔を覚えることができないので何度もお 名前を伺うかもしれません、って最初に宣言してしまっている。そういうやりかたで 通している人々がいるってことを、知ってしまいました」

メモは、もう役に立ちません。涙で読めなくなってしまいました。

「それで、彼らに会ってから、そういう手もあったのかと知ってしまってから、突然、 今までどれだけしんどかったか、はじめて気がついてしまったんです。わー、こんな に苦しかったんだ、って、分かるようになってしまいました」

「そしたら、元の生活に戻れそうになくなってしまいました。だから、新しいバラン スを、ほどほどの、ちょうどいい妥協点を、自分でさがして、見つけないといけませ ん」

「友だちと待ち合わせしてて、後ろから、ポン、と肩を叩かれたりしたら、本当は、 床を転げ回って、頭をぶつけたいほどのショックなんです。いままでは、体を固くし て、すくむだけでがまんしてました。でも、ポンと叩くのはやめてほしい、って、友 だちになら言ってもいい気がする。でも、誰には頼んでよくて、誰にはダメなのか、 自分で区別ができません。あるいは、ああいうスピーカーのうなり音とか、換気扇の 音とか、本当は痛いんだけど、どんなときは苦情を言ってよくて、どんなときはがま んするしかないのか、それを判断するヒントになるような基準はないものでしょう か?」

というような内容のことを、本当はもっと支離滅裂に、それも、泣きじゃくりながら、 身体を左右に揺すりながら、下を向いたまま、顔も上げないで、しかも室内なのにサ ンバイザーをかぶったまま、一方的にまくしたてたのでした。(続く)

佐々木正美先生の講演会 その7 / マルハナバチ (98/09/21)

こんなにだらだら続けちゃってよかったんでしょうか。ごめんなさいね、短くきりっ とまとめるだけの時間と気力がないんですよ。

さて、わたしは質問の場で、先生に診断名をいいませんでした。年令も言わなかった し、診断を受けた年令もいいませんでした。診断を受けていることさえ、最初はいい ませんでした。それには、わたしなりに不器用に考えた理由があったのです。

わたしが診断名や年令を言って質問したら、個別のケースの相談ごとになってしまう。 この場に集まっているのは、もっと年令の低い子どもたちの親御さんや先生方なのだ から、もっとみんなに共通するような、一般的な話として質問したかったのです。感 動するやら安心するやらで、衝動的に手を上げてしまったとはいっても、自分は今日 の対象者層からはズレているという自覚はまだありました。

それに、「無理をしてでも普通らしくふるまう」と「理解を求めて楽をする」とのバ ランスだなんて、すぐ具体的にこうしなさいというようなアドバイスを求められるよ うな問題ではないのもわかっていました。だから、全般的な心構え、判断の原則、そ ういうものを聞ければいい、と思ったせいもあります。でも、「普通らしく」と「理 解を求める」とのバランスって、たくさんの子どもたちが将来一度は悩む問題ですも のね。

ところが、わたしが診断名を言わなかったことで、先生のほうは、かえって時間をか けて「インスタント仮診断」をしなければならないことになってしまったのです。わ たしが遠慮したのが、逆効果になってしまったのでした。「子どものときは、何かお かしいと思われたことがありましたか」「変わったことはあったけれども、両親は、 わたしが賢すぎるせいだという説明をひねり出して納得してしまったので、気にして もらえませんでした」「どういうことで賢すぎると思われたのですか」「1歳で字を 覚え始めて、2歳で読むようになったことです」「いまおかしいなと思うのは」「ヒ モが結べません」しまったなあ、「自分でADDを疑ってX大のZ先生に調べてもら ったらASと言われた」と一言言っておけばこんな手間ははぶけたのに、と思いなが ら、なるべく簡潔に答えようとしたのですが...(つづく)

佐々木正美先生の講演会 その8 / マルハナバチ (98/09/22)

困ったなあと思いながらも、一応、先生の質問には、それなりに考えて答えました。 字が早く読めたというのはハイパーレキシアだし、ヒモが結べないというのは、微細 運動と視覚認知と、計画性とかそういう問題だろうし...困ったな、話が収拾つかな くなっちゃったな、と思っていたら、先生はわたしにかみんなにかわからないけど (こういう判断はわたしにはできないのです)「ヒモを結ぶっていうのは、難しいん ですよ」と説明してくださいました。「字を読むほうが、簡単な子には簡単なんで す」

ああ、どうしよう。会場の人は退屈しているんだろうな。やめとけばよかった。もう 先生のお答えなんかいいから、座ってしまいたい。頭のどこかでは思っているのに、 口が続けてしまうのです。「仕事関係で、宴会なんかに出ても、人の冗談がわからな いんです。友だちどうしだったら、ヌケてる子、で済むけれど、目上の人だったら、 面白くなくても笑ってあげるのが礼儀だってことになってるらしいっていうことを本 で読んで知って、それからとても不安になったんです。わたしだって冗談を言ったり 笑ったりするから、もしかしたらわかっているのかもしれないけれど、もしかしたら、 わたしにわからない冗談があって、笑わなければいけないところで笑っていないかも しれない。そしたら、いつも気を張っているから、すごく疲れるんです。冗談を言う ときは、人はこんな顔になるとか、わかるようになると便利だと思うんですが」

「そうですね。冗談というのはいちばん難しいんですよ」「とにかく、大変なんです ね。それはさぞしんどいでしょう」「そうなんです、先生、しんどいんです。本当は しんどかったんです、知らなかったのに、わかってしまったんです」「申し訳ないけ どもね、これは、すぐにどうこうお答えできるものじゃないんですよ。とにかく、大 変なんだというお気持ちは、ちゃんと聞きましたし、よくわかりましたから、それで いいでしょうか」

わたしには、それで充分でした。自分が疲れてるのはおかしくないらしい、しんどい というのは本当らしい、わたしは正気なんだ。おかしくなったわけじゃなかったんだ。 信用してくれる人がいて、それが確認できたので、それだけで充分でした。正気なん だ正気なんだ正気なんだ正気なんだと頭の中で自分のことばをオウム返ししながら、 ただ、何回もうなづきました。でも、同時に体も激しく揺すっていたので、うなづい ているように見えたかどうかはわかりません。おじぎもしたけれど、おじぎに見えた かどうか、それもわかりません。

佐々木正美先生の講演会 その9 / マルハナバチ (98/09/22)

さて、マイクを返して、そのあとのことは、あまり覚えていません。泣きじゃくった せいで過呼吸になってしまって、手先がしびれてきていたのです。色彩感覚もきつく なっていました。過呼吸のときはいつもそうなのですが、原色など、色が全部、鮮や かに見えすぎるのです。目が回ってきました。ああ、頭をぶつけたいなあ、頭をぶつ けたら過呼吸の目まいは止まるのに。袋呼吸をしたいなあ、袋を口に当てて、自分の 吐いた息を吸えば、しびれと色彩感覚は治るのに。

わたしは、がまんしなくちゃ、ということばかり考えていて、トイレかどこかへ行っ て、人のいないところでやりたいことをすればいいのだ、とは思いつかなくなってい ました。とにかく、頭をぶつけたいのをがまんすることしか考えられませんでした。 悪いことに、わたしは目が回るから倒れないようにと思って、壁ぎわに座って、壁に もたれていたのです。後ろに誘惑の壁はある、でも今日は、人がいるのに体をゆすっ てしまった。それに、頭をぶつけたら音がする。がまんしなくちゃがまんしなくちゃ。 せっかくの先生のお話なのに、何も頭に入りません。

どのくらいの時間がたったのでしょう、服の布地の激しくすれる音が近づいてきます。 だれか来るんだ、構えていると、目の前が白くなりました。白が目にしみて、思わず ちぢこまってしまいました。恐る恐る目を開けると、その人はまだいます。なんであ っちへ行かないんだ。視界の左下が、痛いほど白い−−。はらっ、という音がしたの で、紙だな、とわかりました。そうか、何かプリントを配っているんだ。手を出して 受けとらないとこの人はあっちへ行ってくれないぞ−−と頭の中で考えました。でも、 手がしびれて動かない。置いていってもらうように言うなら、顔を見ないとまずいだ ろう。やっとのことで手を出して、お礼を言うことができました。

まわりはざわざわしています。先生のお話は、終わっていたようです。人がそこらじ ゅうで動き回って、視界がかき回されるようです。空港みたいだ−−と思いました。 どうしよう、静かなところはないかな、でも、歩けるかな、と思っていると、突然、 背中が引き裂かれるような音がして(すぐそばのテーブルで電話が鳴ったのです)、 わたしは頭をかかえ、床に身を投げ出しました。「ヒモを結ぶっていうのは難しいん ですよ」「ヒモを結ぶっていうのは難しいんですよ」「ヒモを結ぶっていうのは難し いんですよ」「ヒモを結ぶっていうのは難しいんですよ」「ヒモを結ぶっていうのは 難しいんですよ」声は出さずに、頭の中で先生の声を再生してくり返しました。音の 痛さを忘れようとしたのです。すると今度は、横の壁が動いて(実はドアでした。電 話の音に驚いて逃げた先はドアの前だったのです)、わたしは横に転がされました。

もうだめだ。なんでこんな目にあうんだ。バチが当たったにちがいない。変な質問を してみんなを退屈させたからだ。いや、人前で体を揺すったからだ。「ヒモを結ぶっ ていうのは難しいんですよ」「ヒモを結ぶっていうのは難しいんですよ」「ヒモを結 ぶっていうのは難しいんですよ」「ヒモを結ぶっていうのは難しいんですよ」頭の中 で、バチだ、という声を消そうと、わたしは何回となくくり返しました。(続く)

佐々木正美先生の講演会 その10 / マルハナバチ (98/09/22)

さて、どうやって廊下に出たのか、覚えていません。しばらく記憶が飛んでいるので。

廊下の長いすに座っていると、また、人が近づいてきました。早くあっちへ行かない かなと思っているのに、どんどん近づいてきます。見ていると、どうやらわたしのほ うへ向かっているらしいことに気がつきました。逃げたいけど、逃げたら変に思われ るから、おりこうにしていることにして、体を固くして、リュックをぎゅっとかかえ こみました。女の人がわたしの前で止まったので、わたしは息を止めました。

このときの会話がどんなものだったのかは覚えていません。とにかく、佐々木先生が 話をしたいとおっしゃっているので、さしつかえなかったら控え室に来てほしい、と のことでした。「どうしますか」と聞かれて、「参ります」と答えました。

佐々木先生とのお話の内容は、申しわけないけれど、秘密です。ごめんなさい。

いろいろお話をしていたら、人が先生を呼びに来ました。みんなお忙しい先生と少し でも話をしたがっているのに、先生を独り占めした上、人を待たせてしまっていたよ うです。またやってしまった。いつでも、知らないうちに失敗するんだ。どうしてわ たしはいつもこうなのだろう。そう思いながら、廊下に出ました。そして、少しだけ、 控え目に、壁に頭をぶつけました。もう過呼吸のめまいは治っていたので、本当は必 要がないのですが、さっきぶつけたいのをあまりにたくさんガマンしたので、ぶつけ たい「気持ち」だけが尾を引いて残ってしまっていたからです。こういうときは、体 が要求するものではないので、本格的にやる必要はないのです。気が済めばいいので すから、おしるし程度にやればいいんです。軽く頭をぶつけてそれなりに納得すると、 お手洗いに行って、それから、マーチさんにタクシーを呼んでもらいました。マーチ さんが代わりに行き先を言ってくれたので、運転手さんは私が耳が不自由なのかと早 とちりしてしまったようでした。耳は聞こえていたけれども、ちゃんと話が出きる自 信がなかったので、まあちょうどいいかなと思い、あえて訂正せず、ずっと耳が不自 由なふりをしていました。駅につくと、また電車を乗り継いで家に帰りました。でも、 とても疲れていたので、生まれて初めて、グリーン車に乗って帰りました。

(おしまい)


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