特命リサーチADHD / マルハナバチ (98/11/30)

こんにちは。「有名人と障害のからめかた」については、2番に書きましたので、こ っちでは番組全体についてだけ書きます。

あ、そうだ。私はマルハナバチといいます。注意欠陥障害だと言ってしまっていいか どうかは、診断規準の解釈によるらしいんですよねぇ。私は自閉(アスペルガー)な んですが、注意欠陥障害の症状はひとそろいちゃんと持っています。ただし、人によ って「注意欠陥障害の症状は自閉の範囲にカバーされるので、自閉の人には注意欠陥 障害という名前はつけない」と言う人と、「自閉と注意欠陥障害は独立のもので、ア スペルガーの人の6人に1人は注意欠陥障害を併せ持っており、重複診断を下すべき である」と言ってる人といて、どっちの方針に合わせるかによって、私は注意欠陥障 害になったりならなかったりするらしいの。まあ診断名はともかくとして、私は注意 欠陥障害というのが実際どんな感じがするものなのかを内側から知っていることは確 かです。

さて、脳内物質だとか、レセプターだとかについての説明は、諸説あって、そのうち の一つを取り上げていたという感じはしましたが、ああいう科学的部分は、みんなき っと一所懸命見ないだろうし、見ても忘れると思うから、一般社会全体での理解にさ ほどの影響が出るとも思いません。だから、別にどっちでもいいです。

トム・ハートマンっていう人は、ときどき行きすぎたこと言うので私は好きじゃない んですが、今回は害のあることは言わなかったから、これもまあよし。

個人的にいちばんくやしかったのは、やっぱり、またしても寡動タイプが扱われてい ないこと。一口にADHDと言っても、二つのサブタイプがあります。落ちつきなく 動き回る漆原教授タイプと、ぼーーーーーっとしてる菱沼さんタイプと。私はその、 ぼーーーーっとしてる菱沼さんタイプなんですが、頭の中は、あの番組の中で暴れて いた白人の男の子と似たようなものです。あれができればまだしも楽なのかもしれな いけれど、悲しいかなそのエネルギーがない。静かに座ったまま、無言で「うるさあ あああい」と思っている。よそ見をする、何でも忘れる、物をなくす、時間に遅れ る・・・

まあ多動の人のほうが絵になりやすいので、多動の人を使うんだろうな、どうせ寡動 型はまた出てこないに決まってるんだ、と最初からあきらめて見ていましたので、が っかりはしませんでしたが、ここではっと気がついたんです。

寡動型が出てこないということは、多動型の子の、内側の苦しみも扱ってないってこ とだ、って。番組の中では、本人たちの苦しみ、劣等感、自己嫌悪に焦点を当てて、 周囲の理解を強調していましたが、ちょっと待って。「叱られるつらさ」「友だちが できないつらさ」「誤解されるつらさ」そればかりです。

自分で何かをやろうとして、気が散ってなかなかはかどらないときの歯がゆさ。せっ かく思いついたアイディアを、メモする前に忘れてしまったときのあのくやしさ。大 事なプリントや本をなくして探し回るときの不安(結局は見つかったとしても、で す)。待ち合わせの時間に遅れそうなときの、あのあせり。大切な人、大好きな人と、 (でもたいくつな)会話をしていて、上の空になってしまって、相手を傷つけてしま う悲しさ。注意欠陥障害って、叱られなくてもつらいことが多いんですよ。

私は寡動タイプでしたから、カッとなって暴れることもなかったし、けんかもしなか った(自閉のせいで、けんかするほど他人が目に入ってなかったということもありま すが)。暴れて叱られることもなかった。いつもけだるくて、落ちこんでて、沈みが ちなぼーーっとした子でした。お行儀は良くて、成績だって良かった。でも、頭の中 がまとまらない、今考えていたことを忘れる、時間と物の管理ができない、というこ とでひどく苦しみました。小さいうちは、自閉で苦しんだことはほとんどないけれど、 注意欠陥障害のためには苦しみました。一番つらかったのは、短期記憶が穴だらけだ ったということです。記憶が穴だらけだと、自己イメージがズタズタになるんですよ ね。自分で自分というものが信じられなくなっていくんです。

番組では、多動型の人が、叱られ、笑われ、傷ついて反抗挑戦性障害や行為障害に進 んで行く二次障害を扱っていましたが、寡動型の人に多い二次障害は、うつ病、アル コール・薬物依存、不安障害、パニック障害、恐怖症・・・ 内側に向かっちゃうんで す。

多動型の人だって、内面では同じ苦しさをかかえていることでしょう。周囲の理解だ けで、頭のざわつきがおさまるものですか。内側の苦しさを無視するということは、 つまり、「暴れたら迷惑だから治さなければいけない」という発想がどこかにあるか らじゃないでしょうか。寡動型が無視されるのも無理のない話です・・・ リタリンを 飲んだ子どもの感想は、本人が内側から楽になっているという生の声だったのに、そ の上にリタリンは覚醒剤だから、という説明をかぶせていく。リタリンを恐ろしい薬 であるかのように扱ったことよりも、子どもたちの証言を、「無気味なもの」を演出 する材料に使おうという構成・編集の意図が、子どもたちに対して礼を失していると 思いました。

要するに、私の不満は、「本人が主役じゃない」、という一語に尽きるでしょう。


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